巳堂霊児の報告書

 

 

 ヴァチカン市国に、地図に記されないある一角を通ると、塔が立っている。

 ヴァチカンを見下ろす尖塔の名は、〈女教皇の塔〉。

 賞金制度で魔術とまったく異なる能力者が集う〈吸血鬼狩り機関〉

連盟及び、異端者処罰を行う警察機関〈異端審問機関〉。

悪魔をもって悪魔を払う〈悪魔払い機関〉。

それら三つある機関の、中心となる塔。

 そこは観光客にはまったく、認知されていない。

一般的に〈霊感〉というものを持つ観光客が見ても無気味に思うだけ。

地元住民ですら誰も知らないし、知り得る歴史すら暗黒の中。

 知る者は、異界を行く者達。

この塔に施された高度な結界を織り、イギリスに陣地を持つ〈連盟〉の魔術師か、女教皇に忠誠を誓う〈聖堂〉関係者のみ。

その塔の頂上にある巨大な天使像が見守る扉の前に、一人の名も無き男が緊張した面持ちで立っていた。

時代錯誤の鎧姿である。その兵士は、静かに開かれる扉から一歩、足を踏み入れた。

 

「失礼します!」

 

 腹に込めて声を出す。その場で軽く一礼。そして直立。ただの兵士に、この間の一〇〇メートル以上近付くことは許されない。

聖堂総本部の、〈女教皇の間〉は、美しくも壮絶な宗教画が広がる。

七日間の天地創造から始まり、託宣を告げる天使ら。十戒を抱くモーセと傍らに姉のミリアム。イエスの足に油で清めるマグダラのマリア。十字架に貼り付けられたイエスを仰ぎ見て悲しみくれるペテロ。壺が川に流れるのを見守る疑いのトマス。

それらが描かれた一〇〇メートル先、教皇の座に座る少女。

年端もいかない一三歳の少女は聖堂最高位の証である、純白の法衣を身に纏っていた。

黄金を溶かしたかのようなショートの金髪に、美しいというよりも可愛らしいといえる顔である。が、双眸は類を見ない眼差し。神秘の色で構成した黄金の双眸を、ゆっくりと直立する兵士を窺う。それだけで、全身の筋肉を強張らせ、己が何か粗相をしたかと考えてしまう。

心臓が爆発するような緊張に襲われる。

この少女は古今東西の魔術師達の中で、たった六人しかいない被免(アデプタス・)達人(エクスエンプタス)の一人であり、その最年少である。

だが、そんな権威ある女教皇は、兵士を怪訝に目を瞬くと、何か納得したのか緊張を魔法のように消失させる微笑をした。

 

「そんなに緊張しなくてもいいですよ?」

 

 広い女教皇の間に、彼女の柔らかい声音が静かに響く。

 彼女の名はラージェ。名字は女教皇の座に就いた時点で無い。

女教皇ラージェの勿体無さ過ぎる労わりと、蕩けるような微笑に地に足が付かない高揚感に浸る兵士。だが、咳払いが遠く響き、もう一つの目線と眼が合った。物質的な眼光の圧力に、すぐさま我を取り戻す。

 

「何のようだ?」

 

 遊びがまったく含まれない、鋼のような男の声音。

 その女教皇の右側に立つのは、二〇代半ばの男性。〈悪魔憑き〉の汚れを受け継いだ子を表した、真紅の双眸。ほりは深く、触れば切れる刃物のような顔立ちと、処女雪のような髪を後ろに流し、女教皇のような暖かさと真逆の、近寄り難い雰囲気を全身で放射していた。

〈聖堂〉の第二位の証である漆黒の法衣を着こなし、腰に差した身の丈ある西洋剣の柄に手を自然に移動させた。彼自身意識していないが、女教皇と対面する者への観察。そして、女教皇を守るためである。

敵対した者以外に剣を振った事など、頭の中以外には一度も無い。

だが、それは彼との付き合いが長い人間だけが解る癖。ただの兵士には脅迫以外にしか見えない。

 

「ハッィイ! レイジ・ミドー卿の報告であります」

 

 畏縮し、ガタガタと別の生き物のように震える膝と歯の根で返答した。

聖堂七騎士の頂点に立ち、聖堂歴史内で三人目の〈剣〉。〈女教皇の魔剣〉、〈真紅の虎〉、〈洗礼した悪魔〉、と異名を持つ。枢機卿長にして聖堂の悪魔払い機関のトップ、カイン・ディスタードは元気な返事だと頷く。

 

「解った。読み上げてくれ・・・・・・・・・手短で簡潔に」

 

対して、喋る権利を与えられたと受け取った一兵は、カラカラの喉に唾を飲み込んで報告文に目を移し、深呼吸をしてから読み上げた。

 

「四月一七日。晴れ――――事件が起きました」

 

「待て・・・・・・・・・日記か!」

 

 兵士が報告文から、こめかみを抑えるカインへ目線を移した。

 

「何でありましょうか?」

 

「手短で簡潔と言ったが、撤回する」

 

「いえ! 報告文の通りであります!」

 

 返された言葉で眩暈を覚えるカインとは別に、ラージェは興味深く頷き、真剣な眼差しを兵士に注いだ。

 

「それで? 続きは何と書かれていますか?」

 

「・・・・・・・・・お待ちください、ラージェ様。これは決して報告文ではありません。悪質な悪戯か、もしくは無知による駄文であります」

 

 十割の可能性で後者だ。悪質な悪戯の方がまだマシだ。

そう、心中で呟き報告書を書いた人物を、頭の中で斬り刻みながら言う。しかし、ラージェは首を横に振りシリアスな眼で言葉を紡ぐ。

 

「カインさん? レイジさんは文章力が無いなんて早計です。最初に「事件です」と書いています」

 

「というと?」

 

 聡明なラージェ様なら、この報告文に隠された重要性を感じたかもしれない。

武骨で堅物過ぎる己なら、見落としているのだろう。ラージェへの信仰とも言える忠誠心に、カインは拝聴の姿勢を改めた。

 

「これは読み手を引き込むためのインパクトです。レイジさんは読み手のことを考え、興味を惹かせようとしているのでしょう」

 

 絶対に違います。それより、ヤツは報告書を日記と勘違いしているのか!

心中で呟きながら、報告書を書いた人物は頭の中ではもう肉片すら残らない。

眩暈の次は胸焼けに呼吸が乱れ始めるカインだが、ラージェの瞳はもう兵士に移っていた。

 

「あの・・・・・・・・・続きを読み上げても、よろしいでしょうか?」

 

 兵士は報告書と両名を見比べながら、指示を待つ。

 

「続けるな!」

 

「続けてください。とても先が気になります」

 

 鋼の怒声を消失させる柔らかい声音。

 殺気すら放射するカインだが、ラージェの笑顔は全てを凌駕する天上の声だった。死の危険性よりも兵士は、勇気をもって天上の声に従う。

 

 そして、三十分後――――

 

 ラージェは女教皇の座から身を乗り出し、興味津々の姿だ。金色の双眸は食い入るように兵士を見詰める。

 真剣に聞いてくれるラージェの姿を嬉しく思い、兵士も報告書を読み上げ、時にはオーバーなアクションを付けながら熱く語る。

 カインはラージェのすぐ横にある柱に寄りかかり、ブツブツと呪詛のように呟く。

呪詛はBGMすらならない。兵士と女教皇は、想像力の羽根で大空舞っている最中だ。

 

「悪魔に変身したクラスメート、アソウとの戦いはとても厳しかったです。彼の変身した姿は、ハリウッド版ゴジラ。動きはメチャクチャ速く、今まで闘ったことが無い、毒槍のリーチ。毒槍の長さは間合いを詰めるのを難しくさせ、ボクは苦戦を強いられました。そして、とうとうボクも触れてしまい、アソウの前に倒れて、毒槍の一撃を防ぐことも、躱すことも出来なくなりました」

 

「あのレイジさんが苦戦するなんて!」

 

文の感情まで込める兵士の語りに、手に汗を握るラージェ。

 

「しかーし!」

 

「しかし?」

 

「先ほど助けたパンダ君は、迫る毒槍の前に立ち、毒槍を防ぎ、ボクを庇ってくれました!」

 

「傷だらけのパンダ君が! そんな、先ほど槍に刺されて重症な身体を叱咤させて!」

 

報告文の続きを読むため、次の書類を見て首を傾げる兵士。

 

「どうしました? じらさないで続きを言ってください」

 

乗っていた所で止められたラージェは、両の頬を膨らませる。

 

「えぇー、ここには『ここから先は、文章にしづらいのでイラストで表現します』と書かれ、パンダの姿が描かれていますが、どういたしましょう?」

 

 報告書に絵?

耳を疑う言葉を聞き、カインは柱から離れて怒りの形相で、剣の柄を折れるほど握り締めた。

 

「あのバカ野郎が! 何考えてやがるんだ! 報告書に絵を書いて許される世界が何処にある!」

 

「すぐにモニターで映してください!」

 

 許される世界は身近に存在した。

 膝はカインの意思に反して嘲笑う。石畳に視線を移し、鏡のように映る己の顔は霞んだ視界。凝視すると、唇は何事かを囁く。

 

「お前はよくやってるって。部下は、どれも面汚しばかりだ。

女と見れば見境無く口説く、下半身と上半身が別駆動するヨシャアは、ラージェ様で口説こうとするし・・・・・・・・・打ち上げと評し、酒を飲むたびに部下を入院させるミーナは海兵隊ノリが抜けきれていない・・・・・・・・・人間差別主義で戦闘狂のギョウスは、会話よりも鉤爪を振り回すほうが多いし・・・・・・・・・トチ狂って拾ってしまったアンソニーは、自分の事をハンゾーとか言う忍者マニアだし・・・・・・・・・聖堂議会には一度も顔を出さないミドーは、報告書には落書きするし・・・・・・・・・マキシは年に一度の大事な議会に自分の娘を観光気分で連れて来るし・・・・・・・・・どいつもこいつも、マジメに仕事をしやがらない・・・・・・・・・特に誉れ高い聖堂七騎士はもう、問題児の集まりだ・・・・・・・・・」

 

独り言から愚痴になってきたカインも見ず、兵士はすぐさま柱に設置されているボタンを操作する。

室内を薄暗くさせ、絵画の壁から駆動音を響かせてモニターが現れる。兵士は映写機に報告書の一枚を載せると、霊児が描いた絵がモニターに大きく映し出された。

 

「ワアー」

 

 ラージェは映し出された絵に感嘆の吐息を聞き、引き篭もっていた世界から抜け出たカインも、モニターに釘付けになった。

 世界に名高い彫刻から、宗教画まで見てきたラージェは美的センスと目は、肥えているほうである。しかし、レイジが描いた絵は美しさよりも、可愛らしさを強調している。カインから、漫画も見ることも禁じられているラージェには、ど真ん中のストライクゾーンだった。

 

「可愛い・・・・・・・・・前衛芸術のような首輪、戒めから解き放たれたことを象徴する鎖。特に目なんて最高です!」

 

「あのバカヤロウは、駄文に対して絵心はあります・・・・・・・・・無駄なプロフィールですね・・・・・・・・・ですが、これが可愛い? 血走った眼で、恐竜を殴りつけていますが? 私には何かとても邪悪なモノに・・・・・・・・・そう、何かを隠しているように見えます。〈悪魔憑き〉を庇っている可能性もあります」

 

 カインの意見が一般的な感想である。スパイクの入った首輪が凶暴性を見せ付け、身体のあちらこちらに鎖が垂れている。こんなパンダなどいる訳が無い。一応は戦友と評価しているレイジの、性格を考慮した結果をラージェへ進言する。

 

「ヤツは明らかに隠蔽している気配があります。早速調査をしましょう」

 

「そうですね? 早速、パンダを見るため鬼門街へ!」

 

 キラキラと輝かせるラージェの瞳が、カインの眼差しと重なる。並の男なら彼女の願いを叶えるべく、奮闘するだろう。

 しかし、そこは聖堂のナンバーツーにして、お目付け役を担うカインは、職務を全うするべく首を横に振る。

 

「パンダを見るだけなら、中国か動物園へ行きましょう。鬼門街のパンダはダメです!」

 

 それに絶対にパンダじゃない。彼の乏しい想像力でもこのパンダ(仮)は凶悪と解る。

 

「溜まった休暇の消化するためか、お仕事で行くのなら構わないでしょう? お願いします」

 

 懇願するラージェだが、再度首を振る。

 

「ダメです。危険です」

 

 むっとするラージェの瞳は涙目だった。カインはまったく動じずに、兵士へ視線を向ける。

 

「それで? くだらん報告書はそれで終わりか?」

 

 いつまでここに居る気だと、遠回しに言ったつもりだったが、兵士はまた報告書を見る。

 

「いいえ! まだであります! 次の報告書はイラストとセリフが一緒の漫画タッチであります!」

 

 ・・・・・・・・・もう、いい。絶対にぶっ殺す。

 胸中の呟きと共に、憤怒の形相となるカイン。殺意はもう、兵士にすら飛び火している。しかし、ラージェだけは次の絵を見たくて、急かしてくる。

 今、自分は死んでも女教皇の笑顔が見られるなら本望だ。そんな、職務の責任とは掛け離れた使命感で、次のイラストをモニターに映し出した。

 パンダくんは、地面に倒れようとする悪魔を支える。因みに漫画のセリフは全て英語。

 

Show(トド) Time(メだ)

オフレコを入れる兵士。しかも、かなりの演技力。

 背中から翼が表れ、飛び上がるパンダ!

 

「パンダが喋るか! 翼を生やすか! てめえも何、オフレコ入れてやがる!」

 

カインの情けない早口突っ込みが響く。が、ラージェの心はもうパンダに釘付けだった。

 天空高く舞い上がり、空中で次々と関節技の嵐!

 

「関節技なんてするか!」

 

 髪の毛が乱れるのも構わず掻き、怒声を上げるカイン。

 しかし、次のコマは最大の見せ場。悪魔の首を足で抑え、両腕を固定。そして、顔面目掛けて悪魔と共に落下!

 

Booooom!

 

「効果音付けんな!」

 

  前衛芸術のように固まった悪魔から離れたパンダは、叫ぶでもなく厳かに言う。 

 

Pamda(パンダ) Baster(バスター)

 

「そんなダサいネーミングあるか!」

 

 しかし、ラージェの心の中ではもうニューヒーローが誕生していた。

 

「パンダ君・・・・・・・・・」

 

 ラージェの顔を見守りつつ、兵士も一通り読み終えた達成感ある清々しい顔で、報告書の最後の文を読み上げようとする。

 カインだけはきつく両目を瞑り、どこに怒りをぶつけるべきなのか、途方にくれていた。

 

「こうして、この事件はパンダ君の意外な活躍で事件は解決しました――――P.S、僕は刀を無くしちゃいました。とても悲しかったです」

 

「小学生の感想文か!」

 

 カインの怒り狂う絶叫と違い、ラージェは至福の笑みで頷く。このような顔は年にそうそう、見られるものではないが、有り難いとはとてもカインには思えなかった。

 

「ミドーの処罰を考えなければならないでしょう・・・・・・・・・」

 

 昏い呟き。陽炎の幻覚すら見えるほどの殺気を放射するカイン。

 

「なぜです?」

 

 花が一斉に咲くような、微笑みを向けるラージェ。

 

「明らかに嘘の報告ですよ! ヤツは何かを隠蔽していることは、間違いありません!」

 

「でも、そこはかと無くリアルティーがありますよ?」

 

「私もそう思います」

 

「お前、もう消えろよ! 名無しの分際でいつまで絡むんだ!」

 

何を怒っているのかワケも解らず、渋々ながら敬礼して報告書を持って、女教皇の間から出て行こうとする兵士。

 

「お待ちなさい」

 

ラージェは威厳を初めて現して、兵士を呼び止めた。

 真剣な表情。一瞬の内に空気が変貌する。そして、引き結ばれた唇が開かれた。

 

「パンダ君の絵は私にくれますか?」

 

 とうとう、カインは膝から崩れた。

 どれだけ彼が体育座りしていたか解らない。

パンダ君の絵を抱いてキャーキャーはしゃぐラージェの声が、遠くに聞こえるだけだった。

 

 

 

四月一七日。黄翔高校。オカルト研究部、部室内。

 

 

「あぁ〜疲れたぁー」

 

 ノートPCと格闘すること二時間。報告書を送り終えた霊児は肩を揉み解している頃、部室のドアからマジョ子が長い木箱を持って入ってきた。

 

「巳堂さん、新しい刀を持ってきました」

 

「サンキュー」

 

 手渡された木箱を開ける巳堂を見ながら、マジョ子はしげしげと中に収められた無銘の刀を窺う。

 

「本当に良いんですか、そんな無銘刀で? よろしければ鎌倉時代から江戸時代の業物くらい、用意できますよ? 兼定とか村正とかを?」

 

「いいって! そんな高級品! それに、名刀って〈我〉や〈精〉が強過ぎて、オレの〈気〉が浸透しづらい。控え目で道具たろうとする、無銘刀が丁度良いんだ」

首を激しく横に振る霊児の言わんとしている事に頷くマジョ子。

 巳堂霊児の気功は鋼や、肉体に浸透する。

 己が肉体に気を満たせば、鋼鉄にも羽毛にも変化させる。刀に浸透させれば、どんな硬度も凌駕し、因果すら切断する武器となる。

無銘の刀が、霊児の手に収まれば、どんな物質をも切り裂く神剣へと変貌する。

 

「でも本当に良いですか? その刀はたかが、三〇万ポッチですよ?」

 

「充分高価だから。うん」

 

 受け取った刀を丁寧に机へと置く頃、マジョ子の視線はノートPCへ移っていた。

 

「何かしていたんですか?」

 

「あぁ〜聖堂に報告書を書いていたんだ。良かったら見る?」

 

「良いんですか?」

 

(忘れがちですが、〈聖堂〉と〈連盟〉は水面下で冷戦中ですよ?)

 

「良いって別に。見て減るもんじゃないし」

 

「・・・・・・・・・じゃ、お言葉に甘えて失礼します」

 

 戸惑いながら席を譲ってもらい、ノートPCの画面に書かれた英語文を黙読する。

 急速に顔を青ざめていくマジョ子も心境も知らず、霊児は自慢気に腕を組んでいた。

 

「どう? イラスト付きだと解り易いだろう?」

 

「いえ・・・・・・・・・解り易さはともかく・・・・・・・・・」

 

(ここで突っ込みを入れることは可能。だが、それをしたら、きっと巳堂さんは凹む。ここは一つ、遠回しに!)

 

「あのぉ〜これって嘘の報告ですよね?」

 

「うん。いくらなんでも、マコっちゃんのことは報告できないし」

 

「そうですよね? 結界から逃れたあの女魔術師も気になりますが・・・・・・・・・でも・・・・・・・・・パンダは・・・・・・・・・やり過ぎじゃないでしょうか?」

 

「そうかな? 意外性って大事だと思うぞ?」

 

「・・・・・・・・・基本的に「晴れ」何て、書きませんよ・・・・・・・・・?」

 

「いや、オレって文才ないし」

 

「文才以前の問題だ!」

 

 キレた。容赦なく!

 

「これは何だ! 「P.S、刀を無くしちゃいました。とても悲しかったです」って! 小学生の感想文か! 報告書に絵なんて書くなぁ! あんた、あれだろ? テストの答案用紙にイラスト描いたりするだろう!」

 

「いいじゃん・・・・・・・・・オレはこんなのしか書けないんだよ・・・・・・・・・」

 

 案の定、凹みの極みに達した霊児。だが、マジョ子の怒りは収まらない。

 

「もうー! アタシが報告書を書きますから! それを、送ってください!」

 

有無を言わさず画面に向き直ると、マジョ子の目に信じられない文字が飛び込んだ。

 

――――メール返信――――

 

「送ったんッスか!」

 

(信じられない! これを送ったのか? それより、この返信メールは怖過ぎて見られない!)

 

「あっ、着たんだ。見ようぜ」

 

「あっ、ちょっと!」

 

 マジョ子の静止も空しく、クリック。そして、開かれた返信メール。

 画面に書かれた文章は、全て英語。

 

報告書、とても面白かったです

 

 愕然とするマジョ子。

 

「ほら、よろこんでんじゃん?」

 

 得意気になる霊児。

魔術世界の三大組織のトップ相手に、報告書を面白可笑しく書く人間。しかも、それを許容される人間。この組織は大丈夫なのかと、マジョ子は敵側という立場も忘れて同情してしまった。

 そこからは、報告書に対する賛美が延々と書かれていた。

 

「いいのか、おい?」

 

 浅生の処罰は聖堂の刑期が終わり次第、釈放すると小さく纏められている。

 そして、最後に・・・・・・・・・

 

パンダを見に、今からそちらに向かいますね。P.S、カインさんもぜひ、パンダを見たいそうなので一緒に行きます。

出来たら、鬼門街を案内してくださいね?

 

「・・・・・・・・・」

 

「・・・・・・・・・」

 

「巳堂さん・・・・・・」

 

「何だ、マジョ子?」

 

「何時頃、女教皇は来るんですか?」

 

「きっと・・・・・・・・・専用ジェット機に乗ると思うから・・・・・・・・・明日かな?」

 静寂。そして、苦痛すら伴う静謐。

 マジョ子の唾を飲み込む音が、やけに部室内に響いた。

 

「グフォ!」

 

 吐血するように絶叫する霊児!

 

「フギャァァー」

 

 猫が尻尾を踏まれたような悲鳴を上げるマジョ子。

 

「どうしよう!」

 

 唯一無二の相棒たるマジョ子の肩を掴む霊児。

 

「どうしたらいい?」

 

「巳堂さん・・・・・・・・・」

 

 心痛な眼差しで霊児を見上げるマジョ子。

 

「別に女教皇が来るのは問題ではありません。真面目な上司の怒りを買ったのは、あなたの責任です」

 

「庇ってよ! 助けてよ!」

 

「それより・・・・・・・・・」

 

 呼吸を懸命に整えようとする、マジョ子の口から、

 

「真神京香が帰国するのはいつですか・・・・・・・・・?」

 

 はっとする霊児。

 この鬼門街に〈聖堂〉、〈退魔家〉のトップが合う。

この二大組織は、未だに長い抗争を繰り返している。

今、その二大トップが合えば、どうなる?

答えは、簡単だ。組織を省き、個人能力は被免(アデプタス・)達人(エクスエンプタス)。それだけ、怪獣同士が戦うような物だ。

 

「ギャァァァァァァァァァア!」

 

雄叫びとも、悲鳴ともいえない断末魔。とんでもない重圧が圧し掛かった。しかも、自分の報告書のせいである。

 

「何も、すぐ来ること無いじゃんかよぉー!」

 

 絶望に扮した霊児と違い、マジョ子は絶望する時間すらも惜しんだ。鋼の精神力でこの街を灰にすることが可能な、二大魔術師相手に作戦を練った。

 

「巳堂さん。これはミッションです。勝利条件は〈女教皇〉と〈女王〉を遭遇させないこと。敗北条件は・・・・・・・・・この街が灰燼と化すことです」

 

 

 

 四月一八日。真神家。

 

 

 

 

「美殊? 手伝う」

 

 毒も抜け、万全な体調で台所に立つ私に、呑気な誠の声。

 

「いいえ、結構。誠は、何時ものように筋トレを始めていて良いです」

 

 よ? と、言って振り向こうとしたが誠の顔は心底、困り顔になっていた。

 このような顔をされたら、何もいえない。だから、私の考える台所の心情を言う。

 

「ここは、聖域で聖戦の場。今日こそ、京香さんを唸らせる一品を作りたいので・・・・・・・・・」

 

 私の言葉の何が、伝わったのか解らない。でも、誠の顔はすぐ笑顔になっていた。

 

「そっか。じゃ、おれは本当に筋トレしちゃう!」

 

 意気揚揚と庭に出るのはいいが、吊るしていたサンドバックがたった一発で大穴が穿ち、中に入っていた水が庭の芝生に撒かれる。

大慌てになるものの、気を取り直して腕立てをするが、ビデオの早送りみたくなってしまう。怪訝となりながら、指立て伏せを選択する。しかし、何か物足りないのか、親指、人差し指と減らし・・・・・・・・・とうとう逆立ちになり、小指一本だけで同じスピードで終わらせてしまう。

誠の封印が解けたせいだ。

魔力の循環、そして元々あった真神の血が活性化している。

 その影響は顕著に表れている。今の誠に五年間続けた筋肉トレーニングは、おままごとのようなモノとなってしまった。

 とうとう、誠は腹筋と背筋の筋トレを両方してしまう。しかし、すぐに鉄棒が壊れてしまい、どうしようかと戸惑ってから、結局は居間に戻って普通の腕立て伏せを始めた。

 

「なぁ?」

 

 恐ろしいスピードで腕立てをしながら誠が口を開いた。

 

「何か、笑うように、なったな?」

 

「そうですか?」

 

 それは、きっと・・・・・・・・・誠への隠し事が一つ減ったせいだろう。

 封印の一部が解けた誠は、やっと私と同じ世界を見ている事への感動のせい。

 万物に宿る我と精・・・・・・・・・どんなモノにも(カタチ)と意思があると、感じてくれている。

 それが、嬉しくて仕方が無い。でも、まだまだ、私には隠し事がありすぎる。

 一番、隠さなければならないのは、誠に抱く私の気持ち。私自身の出生。誠の出生から多々とあるが、大丈夫と思ってしまう。

 私が挫けても、誠は私に手を差し伸べてくれる。

 誠が挫けたら、私は全身全霊をもって誠を救おう。これは、五年前から決めていたことだ。改めて私はこの場をもって誓いを立てる。

 

「気のせいですよ」

 

 私は仕込みの手を止めて、片手腕立てをする誠に振り返る。

 何故か、誠は呆けたように私を数秒間見て、朗らかに笑う。

 

「そうかな?」

 

「そうよ?」

 

 私は何故、誠が微笑んでいるのかも解らない。でも、このような満たされたやり取りが、何時までも続けばいいと、願った。

 それは宗教とかの神様に願ったのではなく、そうただの私自身の願望だ。

 だが、そんな時間は何時までも続かない。至福の一時を、引き裂くように居間の電話がけたたましく鳴り響いた。

 

「おれが出ようか?」

 

「いえ、私が出ます」

 

 エプロンで手を拭き、電話の置いてある狭い廊下へ小走りに向かう。

 くそ、いい雰囲気だったのに!

 そんな気持ちが浮き出ていたのか、受話器を乱暴に持ち上げる。

 

「はぁい? 新聞はお断りです。二度と掛けないでください」

 

京香さん仕込みの勧誘を撃退するセリフを言うが、電話の主はゲラゲラと笑い声を響かせた。

 

『美殊だろう? 中々、勧誘撃退のセリフだったぜ?』

 

 これだけで、私と解る人物。それは、たった一人しかいない。

 

「京香さん?」

 

『おう! 今、空港に着いたぜ?』

 

「そうですか・・・・・・・・・向かいに行きますか?」

 

『良いって、タクシー拾うから。ああ――――もしかして料理の仕込みとかしているのか?』

 

「はい。腕があがった所を見せたいので、何時もよりも念入りに」

 

『何時も、悪いなぁ〜帰ってくる度にお前に迷惑掛けるな?』

 

「いいえ、好きでしていますから」

 

『そっか〜じゃぁ〜さぁ〜本当に悪いけどさぁ〜実は私の友達もウチに行きたいってうるさいんだわ? だから、追加頼める?』

 

「はい、大丈夫です。それで人数は?」

 

『二人。一人は相当な大食漢だから、六人前くらいで丁度いいと思う』

 

「解りました。すぐに準備します」

 

『本当、わりぃ! 何かと忙しいヤツだから、こんな時じゃないと観光も楽しめないヤツなんだ。とりあえず、頼んだぞ?』

 

「頼まれました。京香さん」

 

 それで電話の受話器を戻し、私はポケットの財布を確認。銀行によってからでも充分間に合うだろう。

 

「誠?」

 

 私は居間で逆立ちしている誠に声を掛ける。

 

「何?」

 

「京香さんは、お客さんも連れてくるようなので買出しに行ってきます。誠はお酒の買出しをした後、京香さんのお相手をして」

 

 誠の顔は、顔面筋肉全てで「えぇ〜」と、書かれていた。

 

「ダメですか?」

 

 私の顔を逡巡見て、途方に困り果てるものの、唸りつつ力強く頷いた。

 

「解った! お兄ちゃんに任せなさい!」

 

 立ち上がった誠は、胸板を叩いて言う。私は頷いて、エプロンを脱いで靴を履いた。

 

「それじゃ、お願いします」

 

 私は玄関を出て、自転車のペダルをこぐ。

 この日が、どれだけ波乱が巻き起こるかも知らずに。

 

 

 

 

 

 

第一章 完 第二章に続く。